2019-06-12 第198回国会 衆議院 国土交通委員会 第17号
昭和五十年六月十日に国会に提出された後、昭和五十年六月十七日の参議院運輸委員会、昭和五十二年四月九日の参議院予算委員会、昭和五十九年二月二十一日の衆議院予算委員会において議論がなされており、当該議論の様子は国会議事録において確認することができるようになっております。
昭和五十年六月十日に国会に提出された後、昭和五十年六月十七日の参議院運輸委員会、昭和五十二年四月九日の参議院予算委員会、昭和五十九年二月二十一日の衆議院予算委員会において議論がなされており、当該議論の様子は国会議事録において確認することができるようになっております。
一番最初に、昭和五十年の六月に国会に提出したということをおっしゃったわけですけれども、事務方とのやりとりの中で、参議院の運輸委員会に提出されたというものは出てまいりましたが、衆議院に提出したかどうかは今でも確認ができないというふうに伺っています。 そのような公開のレベルで、また、その後、少なくとも二十年にわたってはホームページその他で公開をされてこなかった。
例えば、二〇〇〇年当時の衆議院運輸委員会では、大幡基夫議員が、空港の安全機能にかかわる問題として、関空の沈下問題を取り上げました。二〇一一年五月十三日の当委員会では、穀田恵二議員が、東日本大震災を受けて、津波対策についてただしております。
そのとき私、実は運輸委員会の公明党の理事を務めておりまして、かれこれもう二十五年近くかかわっているわけでございますが、当時はエレベーターがある駅というのはほとんどなかったんです。わざわざ、あるというと見に行きました、視察に。そうすると、押しなべて、大変不便な、一番端に、また、申しわけ程度の小さなエレベーターがついているというのが常でした。
それが、三者が三分の一ずつ負担をするというルールができたこと、五十億の予算がとれたこと、そして、当時の石破運輸委員会理事を始めとする先生方の御尽力で交通バリアフリー法が制定できたこと、こういったことを受けまして、関係者がこの間努力をされた結果、現在のように駅にエレベーターやエスカレーターがあって当たり前となりました。
本村伸子議員も述べましたが、一九五〇年四月、港湾法制定時の衆議院運輸委員会での大屋大臣の趣旨説明にこういう文言がございます。「港湾管理者として行うことは、港湾の有機的発展をはかり、公共利用を増進する。」「民間企業が大いに進出して、」というのがあるんですが、その次に、「公正な自由活動により能率を上げることが望ましい」と。
大臣におかれましては、最初、私が初当選をしたときに運輸委員会でもお世話になりました。その後、御案内のように、国土交通副大臣もおやりになり、また国土交通委員会の委員長もおやりになる。
私もいろいろな委員会の委員を務めてきましたが、では、観光のことは当時の運輸委員会、今でいえば国土交通委員会なんでしょう、地方財政のことは地方行政委員会、今でいえば総務委員会なんでしょうかね、あるいは農業のことは農林水産委員会といって、ばらばらばらといろいろなところでやる。それこそ、国会まで縦割りにしてどうするんですかという話じゃないんでしょうか。
また、運輸安全委員会の行動指針には、組織問題といった事故の背景にまで深く掘り下げつつ、責任追及から分離された科学的、客観的な事故調査を実施と、そういう指針があるというふうにされているわけでございますが、このJR北海道につきましては、いろんな報道等も、組織の在り方も問題があるというふうに言われているわけでございますが、運輸委員会としても、組織の問題まで言及した報告書が作成されたことがあるのか、また、作成
○太田国務大臣 この国土をどうグランドデザインを描くのかということは、常に、国土交通委員会あるいは建設委員会、運輸委員会のこの二十数年は、私もそこに所属をしまして、いつもこの国土をどうするのかということは基本だと思います。その中で最も前提としていかなくてはならないのは、人口動向であるというふうに思います。
思ったのは、あのときも議論になったんですけれども、運輸安全委員会と警察の間では、証拠書類等々のものを早く運輸委員会が取れるという協定を結んでいるわけですね。それは、当時のエレベーターの調査のところはそういうものはありませんでした。
私も、運輸委員会の理事もやり、運輸委員長もやり、海上保安庁の現場というのに何度も行きました。今でも海上保安庁友の会の会員であります。海上保安官たちがどれだけ厳しい制約の中で体を張って命を張ってやっているか。一色さんの例がありましたよね。海上保安官がどれだけつらい思いでいるかということは、私は、一色さんの行動と無関係だとは思いませんよ。 政治の判断があったんでしょうが。
第五十一回国会で運輸委員会江藤委員長に対して、それから第百回、第百七回、第百九回、第百三十四回の国会の中で討論をしておりません。
特に、港湾の規制緩和によりまして、二〇〇〇年に、衆議院の運輸委員会あるいは参議院交通・情報委員会で、需給調整規制の廃止の際に決議がされています。港湾運送の安定化が保たれるように努めるとか、あるいはダンピングの防止に努める、港湾労働者に過度のしわ寄せが及ばないように配慮する、こういう決議がされているわけです。
衆議院運輸委員会で秋葉忠利議員の質問に対して藤井運輸大臣、SOLAS条約改正を日本が積極的に推進、努力する旨を答弁をしております。 九八年には、日本はSOLAS条約の改正提案をIMO事務に提出をしておりますし、これらの問題についても、国際運輸労連も日本の条約改正提案に賛成する趣旨の文書を提案をしております。
その上で、大臣が運輸委員会に入れるとおっしゃっているんだから、私が聞いたことにちゃんと答えなさいよ。 法改正はどこが作業をするんですか、住宅局でできるんですか、運輸も巻き込んだ法改正の作業ってできるんですか。それだけ答えなさいよ。
○国務大臣(冬柴鐵三君) 私、八八年の「なだしお」、第一富士丸の衝突事故のときに、当時、予算委員会だったと思うんです、運輸委員会ですかね、質問をしまして、時の運輸大臣が石原慎太郎さんでした。そこで、これが衝突した場所は観音崎の先だったと思いますけれども、ここよりももっと海上交通の頻繁なところあるよと。
大変船舶がふくそうする海域でございますので、ちょうど淡路島の突端に海上交通センター、これはちょうど思い起こしますと、「なだしお」の事件があったとき、私、当時の運輸委員会で質問をさせていただきました、運輸だったか建設だったかな。
外務委員会の理事に玉沢徳一郎さん、農林水産委員会はもちろんですけれども、運輸委員会、辻一彦委員長、理事武部勤さん、なかなか言うことを聞いてくれない人でしたけれども。それから、科学技術委員会は井上喜一委員長。私は、私なんて言っちゃうといけない、こういうところに事務方が回って、やった方がいいでしょうと。当然その方がスムーズにいく、大局的な議論ができるということで、でき上がっているんですよ。
ですから、このことについては、実は私、初当選以来、毎年毎年この旧運輸委員会で大臣がかわるたびに御紹介をし、何とかしてほしいということを訴えてまいりました。 といいますのは、一区間七・五キロで、乗っている時間は七、八分足らずですが、四百三十円という恐らく日本で一番高い鉄道料金でありまして、ここを何とかしてほしいと。
実際に締結するまでに約半世紀以上もかかってしまったわけなんですが、この理由、昭和四十四年七月の参議院運輸委員会におきましては、仮に法隆寺周辺ということを考えた場合、法隆寺を国際登録すると、その登録された地域については、もちろん戦争のときには攻撃をしないということは保証されるわけだけれども、同時にその地域について、停車場もつくらないとか、放送局も設けないといった条件がたくさん出てくるということで、国内措置